つらい夜

2004年1月25日
今日、義父の家に行った。
義父の貴重品を持ち返るためだ。
先日の日記に書いたが、娘が義父の所持金を着服してしまったため、つらいことだが、何があってもおかしくないので、すべての貴重品を持ち返った。
母親として、どうやって、義父に謝罪して、弁償していけばいいのだろうか?

夕方、娘にメール。
義父の貴重品を持ち返る旨を伝えた。
返信は、しらじらしいものだった。
それに返信。
「おじいちゃんのお金が全然ないけど、預かっているの?明日、15日までの入院費用を支払うつもりだった」というメール。
その返信は「預かっていると言うより、生活費として出した」というしらじらしさ。
どうして、二週間で18万円が消えるのだ。
入院した日に、お金をすべて預かっておくべきだった。
義父の収入源は年金だけだ。
義父は、年金が出たら、いつも引落などで必要な分だけを口座に残し、ほかは、別の口座に分けて入れて残りを所持金として持つ。
そして、面倒だが、ほかの引落の日が近づくと、それぞれの口座にその中から入金に行く。
そんな生活を続けている。
義父に昨日会ったら、家賃のことを気にしていた。
年金が出たら、それで払ってもいいのだが、残してある金で、悪いが、払ってくれないかという話だった。
しかし、もうすでに残金が残り少ない事をわたしは知っていた。
しかし、容体が安定しているものの、そんなことを今の時点で義父に話せるはずもない。
「わかった、そうするよ」と言って、病院をあとにした。

娘には、もう一度メールをした。
夫の口座に明日、医療費にあたる金額を入金するようにというメールだ。
明日、給料が入るという。
なぜ?
どうして?
自分で所帯を持っているわけでもない。
家賃を払ったわけでもないのに、どうして、20万誓いお金がなくなるのだ。
どうして、生活費なのだ。
娘に対する不信感がまたまた募る。

昨日の夜、義父が入院している病院から電話があった。
ドキドキしたが、容体の悪化ということではなかった。
単なる「これ、持ってきてください。これがないですよ」という連絡でホッとする。

で、いつもなら、仕事帰りに病院に直接行って、義父の様子を見、担当医の話を聞き、そして、チビを迎えに行くという生活パターンだが、今日は、義父の必要なものをとりに、義父の家に行った。
それゆえ、病院は、お休みさせていただいた。

義父の家は、実家の前の棟の5F。
そこに、おねえちゃんと二人暮らしだ。
義父が、いる頃は、部屋も台所もきちんと整頓されており、換気も行き届いていた。
しかし、今、義父が、入院したため、いつ、選択したかわからない洗濯物が、リビングに干してあり、台所も洗い物がされておらず、そのままだった。
いつからやっていないのかわからない様子だった。

仕方なく、洗い物をすませた。
そして、あまりの乱雑さにあきれ、リビングのテーブルを片づける事にした。
お姉ちゃんには、いろいろと支払のことがあるだろうから、義父宛ての郵便物は必ず開封するように言っておいた。
だが、何も相談がないので、心配していたが、開封しただけの様子だった。

しかし、その後、とんでもないものを目にしてしまった。
すべてその郵便物は、お姉ちゃん宛てだった。
それもすべて督促の手紙だった。
そして、以前、クレジットカードを作りたいという話を聞いていた。
そのカード会社からも督促はきていた。
おそらく、カードをとめられているだろうと思われた。

もう一つ驚くべき事は、いわゆる消費者金融と言われる会社からの郵便物だった。
名前は聞いたことのある会社だったが、それを覗いて見ると融資を受けている事がわかった。
それから、ローン会社からのローンの明細書。
名も知らないエステティックサロンでのローン。
いったい、どうなっているんだろう?
エステというと、街でキャッチしている若い男の子の集団のことが目に浮かんだ。
まさか、そんなものに引っかかり、無理やりローンをくまされているのでは...と思った。

まだ19歳になったばかり。
欲しいもの、やりたいことはたくさんあるだろう。
自分もそうだった。
行きたいところもたくさんあった。
でも、自分が就職して給料の範囲でやっていた。
それと彼女のやっていることが違うような気がする。

いったい、何を買ったの?
どうしてそんなにたくさんのお金が必要だったの?
母親として、彼女に問いただす必要がある。
まだ、19歳、未成年だからだ。
クレジットカードと金融会社のを併せて、ざっと80万くらいの借金になる。
そう言えば、正月に携帯代が払えないからどうしようかといっていたが、停まることもなく通じる。

それと義父のお金に手をつけているのも発覚。
入院した日、確かに、そのバッグには18万円入っていた。
今日、義父の支払のため、そのバッグを空けたところ、もう5万円しかなかった。
なんてことをしてるのだろう?
携帯は、おそらくそこのお金を拝借したのだろう。
そして、服や靴、バッグの類をよく買っているようだが、カードが停められている今、どうしても欲しいならそのお金を使ったのかもしれない。

近々、昼に食事を誘い、確かめなくてはならない。
悲しい事だが、母親としてしかたない。
その上で、夫に相談してみるしかない。
やはり、そばにおいておくべきだったのだ。

またも頭痛のタネ

2004年1月21日
昨日の夜、義父の病院から電話があった。
幸い、容体の悪化とかそういう類の電話ではなかった。
タオルやバスタオル、筋力を少しつけるために軽いリハビリをするから上にはおるカーディガンのようなものを持ってくるようにという連絡。
少しホッとした。

...というわけで、今日、仕事帰りにいつもなら、病院に直行するが、義父の家に行って、カーディガンをとりに行く事にした。
カーディガンやタオルは明日持って行く事にした。
入院後二度目の訪問。
お姉ちゃんは、今日、小学校時代の友達と出かけていて留守。
相変わらず、義父がいないとリビングは散らかり放題だった。
義父は、几帳面な性格で、キレイ好き。
掃除や片づけは、マイペースだが、きちんとする性格で、いつも部屋はきれいに整頓されていた。
ところが、我が娘ながら情けないが、片づけができない。
部屋は、万年床だし、台所も洗い物がされていなかった。
仕方なく、洗い物を片づけ、リビングを少し片づける事にした。
義父宛ての郵便物は必ず開封するようにと言ってあったが、何の連絡もないので、心配していたが、開封はしてあったが、何もせずにそのままにしたあった。

しかし、その後、大変なものを目にした。
おねえちゃんあての郵便物だった。
以前に、クレジットカードを作るという話は聞いていたが、支払の督促状がきていた。
現在、フリーターで、そんなにたくさんの収入ではないが、多少は収入がある。
下手すれば、わたしのパートの給料よりたくさんもらっているのかもしれない。
なのに、なぜ?
その他、様々なクレジット会社らしき会社からの封書やハガキがきていた。
すべて、彼女名義だ。
悪いと思ったが、そのうちの二つを見て、愕然とした。
融資を受けているのだ。
なぜ?
何に使ったの?
どうやって、返済していくの?
何をやってるんだろう?
そのうちの一つは、エステティックサロン(名前の知られていない店)でのローンを明細。
もう一つは、明かに消費者金融の契約書の控えだった。
両方合わせて80万近くの借金だ。
19歳になったばかり、欲しいもの、やりたいことはたくさんあるのかもしれない。
でも、なぜ?
ショックで気分が悪くなった。

しかし、母親として、彼女に確かめなくてはならない。
そんな多額の借金をどうやって返済していくのだろう?
借金を借金で返済していくのではないだろうか?
そして、雪だるま式に借金が増え、身を滅ぼすのではないだろうか?
いかにお気楽なわたしでも心配でたまらない。
近々、彼女を会社の近くに呼び、真相を聞かねばならない。
何に使ったのか、また、どうしてそんなにたくさんの金を必要としたのか?
今日も義父の病院に行き、担当医から容体の説明を受ける。
白血球が増加しているので、胆嚢の一部を残しているので、悪い膿が、内臓に悪さをしているのでは...との見解らしい。
しかし、わたしには、なんのこっちゃ?という感じだ。
義父を病室に見舞うと、点滴を何本も打たれてるし、食事はまだ、できない様子だし。
肺の近くの静脈に直接栄養を入れているらしいし。
まったくもって、謎・謎、そしてまた謎だ。
仕事も今年になってから忙しいし、チビは、わたしとじゃなきゃ家に帰らないとダダをこねるし。
いやあ、まったくもって困ったもんだ。

明日(もう今日か)は、チビと一緒に親子体操というのに申し込んでいるのだが、その抽選日だ。
市立の体育館でやるので、抽選らしい。
明日は、その結果を会社帰りに見に行くつもり。
なので、義父の病院はちょっとお休み。
保育園に来年の春から行かせようと思うので、大きな団体に慣れさせるお稽古だ。
初めてのお稽古。
どうなるだろう?
友達もできるだろうし、うまくいけばいいなあ。

なんだかなあ

2004年1月18日
義父の容体はとりあえず、安定している。
しかし、予断は許さないと担当医より言われている。
...ということで、遠出はできないで、家の中でウジウジしている。
チビは、欲求不満かもしれないが、4歳児にしては、大人の彼は、我慢して、大好きな自動車のおもちゃや携帯電話のおもちゃで一人遊びをしている。
なんて、健気なヤツなんだ。
抱きしめてやりたくなる。

夫は、自分が行って顔を見るより、お前が言って、元気付けてやってくれと。
それもそうかもしれない。
義父と夫は、親子だが、長年のいろいろないきさつがあり、あまり仲が良くないし、どうやって言葉をかけてよいのかもわからないのだろう。
他人には、饒舌だが、家族には、口下手だから。
それに、やはり、実の父親の病気の姿を目の当たりにしたくないのかもしれない。
わたしもそうだ。
実家の父親も昨年、脳梗塞で倒れ、現在、車椅子の生活だが、あまり会いたくないというのが現状だ。
元気だった父親が、なぜ、こんな姿に...と思うからだ。
だから、夫もそうに違いない。
幸い、病院からも容体が悪くなったという電話連絡がないので、安心している。

安心して、大好きなSMAPたちが主演しているドラマを二本も見てしまった。
また、明日も見てしまう。
やはり、わたしは、お気楽な性格なんだなあ。
まあ、それくらいは、許してもらおう。

阪神大震災から9年もたったんだなあと。
あの日、夫が、滋賀県の現場に行くので、4時ごろから起きていた。
そして、早起きしたので、娘の誕生日でもあるあの日、夫の弁当とともに、娘のバースディケーキの準備をしていた。

夫が、原付で会社にまず出かけるのを見送ろうとしたとき、グラっときた。
今までに体験した事のないような揺れ。
あわてて、二階に駆けあがり、娘の様子を見に行った。
娘は、何事もないといったように、安らかに眠っていた。
テレビをつけた。
兵庫県がかなりのダメージを受けているという。
年老いた叔父と叔母が住む伊丹市。
数日前に、叔父と叔母を訪ね、いとこ母娘とわたしと娘で大好きな神戸にランチに行ったところだった。

当時、勤めていた会社の本社が神戸市なので、友人もたくさん住んでいる神戸。
みんなの顔が浮かんだ。
そうこうしているうち、阪神高速が落ちたというニュースとともに、阪急伊丹の駅が倒壊したというニュースが。
叔父と叔母の家は、駅から歩いて数分のところにあるので、ますますつのる不安。
実家に電話してみた。
繋がった。
実家は、大阪の北部、千里だ。
叔母は、母の姉だ。
そして、叔父は、母の弟だ。
「おばちゃんたち、大丈夫かな」
「電話が通じないんよ。姉ちゃんたちが心配で」
と母も、心細い声だった。
父は、当時、マンション管理の仕事をしていて、車で駆けつけ、もう留守だった。
かくいう、夫も原付で会社に出かけた。
わたしはというと、電車が止まっており、身動きがとれなかった。
会社の同僚から電話があった。
彼女も電車が動いていないため、出勤できないと。

娘を起こし、地震のことを言うと、「今日、学校の校外学習のスケートあるんかな? ママ、誕生日ケーキ作ってくれたん?」と能天気なことを言っていた。
それで、思いだし、台所に行くと、無残なケーキの残骸が。
とりあえず、朝食を食べさせ、学校に行かせた。
その後、実家に電話をしてみるものの、通じなくなった。
またも、心配になった。

心配なのは、叔父と叔母。
実家の父が、母を連れて、叔父たちの家を訪れたのは、それから1週間以上もたった日だった。
ケガはなく、元気な様子ではあったが、家が半壊だった。
あれから9年もたったのだ。
叔父や叔母も元気に今も暮らしている。

あの地震がきっかけで、実家から離れた場所に住んでいたが、わたしが一人娘ということもあり、引越を考え、現在に至る。
悲しい知らせもあった。
会社の友達の家が、長田区にあったが、全焼した。
同じく長田区に住んでいた別の友達の家も全壊、おかあさんが大怪我を。
そして、先輩の奥様がなくなられた。
しかし、その後、みんな、懸命にがんばっている。
それまでは、1月17日は、単なる娘の誕生日にしかすぎなかったが、今は、一生懸命に生きなければと考える日となった。
...という娘も今日、19歳を迎えた。

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義父の容体が心配なため、勤務の帰りに病院に寄るので、チビを迎えに行く時間が遅くなっている。
実家の母や父は、遅くなるとかわいそうだから、泊まらせろと言うが、チビは、時間になると「かあさん、かあさん」と言って、困らせるらしい。

そして、昨日、チビの通う施設の月に一度のお誕生日会だった。
行ってやりたいのは、ヤマヤマだったが、義父の件で勤務を二日も休んでしまったため、仕事がたまっており、それを消化しなくてはならないため、母に代役を頼んだ。
昼休み、携帯に電話。
「ホールに入らなくて困った」という旨の電話だった。
その様子を見て、担任の先生が「悪いけれど、外に出ていてくれますか?」と言い、結局、母は、帰ったらしい。
帰宅すると、その件で園から留守番電話が入っていた。
やはり、母親でなくてはだめじゃないのかと、母も言っていた。
わたしもそうかなと思った。
チビが、どんどん、わたしを必要としだした。


今日、久々に仕事に出た。
昨日まで、義父の件でガタガタしたので、仕事を休んでいた。
今日は、どうしても休めない日だった。
でも、行ったほうが気が楽かも。
今日、一緒に仕事をしている社員の彼女が本社に研修に行ってしまうので、どうしても行かなくてはならなかった。
二日も休んだあおりで、たんまりと仕事がたまっていた。
バタバタと働いた。

昼過ぎに、携帯がなった。
イヤな予感。
夫からだった。
頼まれていた用事を済ますようにとのことだった。
そして、その後、またも携帯が。
今度は、病院からだった。
義父の担当医からだった。
一瞬ドキっとしたが、新しい処置をしたいので、説明したとのことだった。
昨夜も、術後の経過報告を11時ごろにもらって、ハラハラした。

大きなリスクのある手術だったため、いろいろと合併症が出る可能性があるのだ。
高齢というほどの高齢ではないが、70歳を過ぎているため、心配だ。
30年以上も前に、心筋梗塞をやっている古傷があるらしい。(この件に関しては、夫も覚えていないほどのことらしいが)
今日は、大腸の血の血流が悪いらしく、当分、食事をとれないので、点滴をしているが、血管がもろいので、肺の上の静脈にパイプを通して栄養価の高い液を入れたいとのことだった。
考えてみるだけで、ぞっとするようなことだが、体力を持たせるためには、仕方のないことかなと思う反面、70歳を過ぎて、次から次から身体にメスを入れられる義父を思うと、悲しくなった。
元気なときは、ガンコで、ケチで、分からず屋と何度も思ったが、今、こんな病気に負けないでと心から祈るだけだ。
明日も、帰宅途中にある病院なので、のぞいてやろうと思う。

こんなことになり、チビをちょっと犠牲にしなくてはならなくなった。
実家の母は、「そんなに遅くなるなら、こっちに泊まらせれば」と言ってくれたが、そうもいかないので、家には遠回りになるが、実家の最寄の駅まで迎えに行った。
明日もそうしてやらなくては、と思った。
けなげに、わたしを待っているチビ。
実家の母が、自宅に連れて帰ってくれようとしたのだが、いつも、わたしが、駅まで迎えに行き、一緒にバスに乗って帰るので、「かあさん、かあさん、かあさんと一緒」とグズったらしい。
そう思うと、けなげなチビを帰宅には遠回りだが、明日も迎えに行ってやろうかと思う。


しばらくの間、日記を更新できなかった。
仕事が忙しかったのと、年末の疲れ(?)かな、身体が不調だったためだ。
風邪は、昨年よりの持ち越しだが。
そして、そろそろ復帰しようかと思ったら、12日の深夜1時ごろ、携帯がなった。
大好きな番組の「マネーの虎」を見て、そうだ、明日は、また早いんだったと床についた。
寝ぼけていたので、めざましの携帯かと思い、一度消してしまった。
しかし、すぐにまた、携帯がなった。
あ、電話だと気付いて、出てみると、おねえちゃんだった。
「ママ、おじいちゃんが大変、病院に運んだ」という旨の内容。
ここ数日、体調の不調を義父が訴えていたようだ。
食欲がなく、二日ほど、おかゆやおじやを作って食べていたらしい。
アルバイトから帰ったおねえちゃんが「おじいちゃん、具合どう?」と言うと、腹痛を訴えたらしい。
そして、おねえちゃんの機転で、救急車を呼んだらしい。
「入院になるかもしれないって、先生が言ってる」
と言うので、運ばれた病院は、我が家から歩いて20分くらいの場所。
入院になれば、いろいろと話もあるだろうし、さっそくいくことにした。
容態があまりよくないので、彼女には荷が重過ぎるので、という話だった。
胆石が以前より見つかっていて、それが、何らかの原因で、穴があいて、胆汁が腹部に流れ出し、腹膜炎を起こしたのだ。
緊急に手術となった。
リスクの高い手術になると医師に言われた。
翌朝...というか、早朝からの手術になった。
実家の母が、自宅に来てくれるまで、おねえちゃんとチビを家に置いて出ることにした。
夫は、どうしても休めない業務があり、出かけた。
6時に医師との打ち合わせをし、同意書や何やかやと署名したり、説明を聞いたりして、7時前からの手術となった。
とりあえず、時間はどれくらいかかるのかは、腹部を開けてみないとわからないとのことだった。
手術が始まった事を家族に知らせる電話をした。
おねえちゃんは、バイトを休むといってくれた。
「ばあちゃんが来たら、病院に行く」と言ってくれた。
「パパはもう出かけた?」
「ううん、今、風呂に入ってる」
「じゃあ、今から手術と伝えて」と言って、電話を切った。
7時過ぎに、夫から電話が入った。
「聞いてくれた?」
「うん。おれも、朝一番の仕事が終わったら、帰れるように手配する」と言ってくれた。
義父と夫は、仲が悪いので、心配した。
結婚して何度目だろう、義父の看病は。
年々、年老いていく親がいるのだから、しかたないのかな?
と思いながら、トイレで泣いた。
でも、わたしが、しっかりしなくては...と思った。

元旦そうそう、飲んだくれてしまい、日記どころでなくなりました(笑)
大晦日より、おねえちゃんが帰ってきて、チビッコは大喜び。
とにもかくにもおめでとうございます。

しかし、元旦の夜より発熱してしまいました。
身体の節々が痛いので、しっぷをしたりしていたのですが、全然きかない。
で、しかたないので、熱い風呂に入ったりしてみたけど、だめ。
身体が冷えるのを待って、熱を測ってみた(普段は熱を測って熱があるとわかると余計にしんどくなるので計らない)
38度も熱があった。
しかし、そこは、主婦のド根性。
熱をもろともせず、またも飲酒。
...というのも、夫の元の会社の同僚(オンナの子)がお年賀にやってきたから。
きゅうきょ、鍋物主婦になりました。

普段ならば、おせちを食べてもらうのだろうけれど例年のように、我が家は、午後には、おせちはなくなる家庭であったのだ。
ということで、彼女がきたら、きゅうきょ、鍋になりました。
それもありあわせの鍋。
年末に、お客さんはないと思っていたので、おせちのほかは、あまり買い出しをしていなかったので。
ただ、鍋好き一家の我が家には、白菜・白ねぎ・ひき肉・豚肉は、常備してあるので、それを使ってのありあわせのちゃんこ鍋となりました。
彼女は、なかなかの酒豪。
しかし、手土産に必ずビールを持参してくれるのでいつでも歓迎。
そんなこんなで、発熱もなんのそので、鍋主婦となりました。

彼女もかなり飲んでいたので、泊まっていただきました。
翌朝、おねえちゃん・夫・チビッコは、買い出しに。
わたしは、その間に、片づけを。
結局、またも、鍋になりました。
普段、あまり人見知りしないチビッコですが、かなり彼女が気に入ったようで、「おねえちゃん、おねえちゃん」とくっつきまくっておりました。
彼女が、午後、帰るとき、かなり泣きまくってしまい困りました。
で、仕方なく、おねえちゃんとともに、ユニクロと靴屋に出かけました。
しばらく、家にばかりいたので、彼も運動不足。
ユニクロと靴屋を走り回ってました。

夕食は、やっぱり鍋でした。

早いもので、気がついたらもう三日。
ただ、母としては、今日あたりから普通の主婦業もやり始めました。
ゴミ捨て・ビン・カンの整理、洗濯。
しかし、母としては娘にちょっとは、動いてもらいたいと思ってます。
18歳、今月19歳になるっていうのに、服は脱ぎっぱなしだし、ふとんは万年床、一日ダラダラ寝たり起きたり。
ちょっと、母としては、はずかしい気がする。
今年は、ちょっときちんとしてほしいなと思った信念でした。

いやいや、早かったなあ。
腹立ちの会社の納会から、はや五日もたったなんて。
...ということは、もうあと四日しか休めない(?)ということだ。
いやだなあ。
チビっこは、8日から保育。
その間は、実家保育園での保育をお願いしてます。
昨日は、残らないおかず...と思いましたが、やはり、鍋になってしまいました。
なにしろ、冬と言えば、我が家は、鍋家族ですから。(週に4日くらいは、やってるかな)
納めの鍋は、すきやきでした。
今晩は、年越しそばを夕食にして、百貨店のおせちを我が家のお重につめます。
いやはや、準備は極力手抜きでやってます。
今、日記を更新中ですが、背中ではチビっこが普段あまり、一緒にいることがないので、へばりついてます。
まいっちゃうわ。
あとで、散歩にでも連れ出すつもり。
ちょっと休憩しながらやろうかしら。
では、また、来年。

大掃除!

2003年12月29日
今日は、朝からとりあえずの大掃除でした。
わたしは、トイレ・台所・洗面所の担当でした。
我が家は、引っ越したときに極力荷物を少なくしたので、コタツ布団も一組しかないため、夫が、掃除機をリビングやその他の部屋にやってくれている間、うるさくバタバタするチビッ子を連れ、向かいにあるコインランドリ―に洗濯に行き、待ち時間の間にスーパーで、正月用の雑煮の具(大根・にんじん・ごぼう・サトイモ)と白みそを買い、チビッ子が退屈するので、ジュースと菓子パンを購入し、再び、ランドリーに。
うまい具合に、乾燥が終わりかけに入ることができました。
チビッコは、うれしそうに、ジュースとパンを頬張っておりました。
家に着くと、夫が、掃除機を終了したところ。
これまた、Good timingでありました。
(普段、わがままなんだから、これくらいいいじゃん)とまた、心の悪魔が毒舌をはきながら、笑っておりました。
で、その後、再び、チビっこを連れて、昼食の買物に。
のんびりしたなんてのどかな年末なんだろう。
こんなこと、本当に久しぶりだわ。
去年の年末は、義父が同居中だったので、朝からずっとお酒を飲み、ウダウダしていて、夫との喧嘩がたえず、はらはらのし通しでした。
おねえちゃんは、それを見るのがいやなので、出かける事が多く、結局、一人で片づけや買い出しに行くことが多かったので、今年は、天国よ。

心配なことは、たくさんあるけれど(実家の父の病状や母の身体のことや、おねえちゃんのこと)とにもかくにも幸せな我が家が取り戻せてるかなと言う感じです。
大晦日には、おねえちゃんが、こっちに来て、お正月はこちらで過ごしてくれるので、うれしいです。
不憫な思いをさせている彼女。
そのうち、こっちの家に引き取りたいと思っていますが、実家と目と鼻の先に住んでいるので、実家の母や父がさみしがるので、ちょっと考えています。後は、彼女次第ですが。
まあ、こんな感じの今日この頃です。

ダンナがダウンした

2003年12月28日
昨日の夜、ダンナが例によって日本酒を飲みすぎてしまった。
その結果、またもリビングのコタツで寝てしまった...ことが原因かどうかわからないが、風邪が悪化。
今日、大掃除をやろうと思っていたので、また、明日に先延ばしになった。
...と言っても、このマンションに引っ越してきて、三ヵ月あまりなので、そんなに片づけるところもあまりない。
しいて言えば、窓ふきと普段しないところの掃除くらい。
窓は、チビっこがベタベタと指紋をつけてくださっているので、やらなくちゃなと思っている。
しかし、先日のあるある大辞典で掃除の大事さを思い知った。
だが、今のマンションに引っ越してからは、ダンナも力を入れて、週に一度の掃除日にがんばってくれているので、大丈夫かな...と思っている。

しかし、今日は、ダンナがダウンしてしまったので、チビっこを連れて実家のじいちゃん・ばあちゃんのところに行く事にした。
実は、実家のじいちゃんが、三ヵ月前に脳梗塞で倒れ、今、リハビリ生活をしている。
で、元気を与えに、チビっこの力がいるのだ。
チビっこは、生後三ヵ月より、実家のじいちゃん・ばあちゃんに預けていた。
しかし、じいちゃんは、まだまだ元気なときで、午前中、シルバーセンターの仕事に出ていた。
で、ばあちゃんが、じいちゃんが戻ってきて、午後からテレアポのパートに出ていたので、ほとんどじいちゃんとの生活が長く(親のわたしたちより)じいちゃんが大好きなのだ。
じいちゃんが今度の病気になったとき、わたしたち家族も同居していたので、目の前で病気になったじいちゃんを見て、ショックを受け、翌日より幼稚園を休むと言って、グズった。
そして、元気がなかった。
おねえちゃんにしてもそうだった。
おねえちゃんは大きいが、何かとじいちゃん・ばあちゃんと話すことが多く、ショックを受けていた。
わたしとしても、兄弟姉妹がいないので、本当に一番大事な父親だし、心の動揺はそれなりにあった。
しかし、夫がいる手前、そうも言っていられなかったが。

休みになると、本来なら、連れて行ってやりたいと思うのだが、現在、夫と実家の折り合いが悪いのでそうもいかないので、ばあちゃんも気を使って、「できたら連れてきてね」程度のことしか言わなくなった。
ばあちゃんもわがままな夫にかなりの毒舌を吐かれたりしたので。
以前なら、休みの日でも、ばあちゃんは、老人のためのバス定期を持っているので、バスを使って我が家にも結構、足を運んでいた。
しかし、今は、「Tさんが休みなら、やめとくわ」と言ったり、電話で「今日は、連絡がないと思ったらTさんお休みなの?」と気を使っている。
それが、夫もわかっていながら、がんこなので、何も言わないし、もともと、あまり饒舌ではないので気遣いを見せてくれないので、わたしとしてもハラハラする。
夫にしても、じいちゃんに対しての苛立ちや腹立ちがあるようだ。
結局、二人は似ているのだ。

まあ、それは、さておき、携帯で電話をして、ばあちゃんに「今から連れて行くね」と言うと、喜んで、「駅まで迎えに行くから。何時のバス?」と言って、わたしたちが乗ったバスがつく時間に迎えにきてくれていた。
ばあちゃんを見ると、チビっこが、飛びついた。
じいちゃんも好きだが、ばあちゃんも大好きなのだ。
で、歓迎されて、実家の近所のほか弁を買ってもらった。
介護の必要な病人を抱えているので、ばあちゃんも生活が大変で、ちょっとした贅沢がほか弁なのだ。
今日は、チビっこは、大好きなカツ丼、わたしはミックスフライ弁当を買ってもらった。
おねえちゃんも週に何度かは、実家を覗いてくれていて、感謝感謝だ。
おねえちゃんも、夫方のじいちゃんより、わたしのほうのばあちゃんやじいちゃんを気遣ってくれる。
小さい頃から、いろいろなことを見て育っているせいもあるだろうし。
まあ、とにかく、そうやって、今年もくれて行くなあと思った。
大晦日は、おねえちゃんが、うちに来るので、いつもあまり、よいものを食べていない(じいちゃんは自分が好きなものしか買ってこないから)から、精一杯のもてなしをしてやろう。
一緒に暮らさなくなってから、彼女の考えが気になり、ちゃんと食べているんだろうかとか、そんなことばかり、考えている。
そして、メールでのやりとりが多くなる。
夫とも話したが、来年は、様子を見て、こっちに引き取ろうかと思う。


いよいよ正月休みだ

2003年12月27日
昨日で一応、今年の勤務は終わった。
昼から大掃除かなと思っていたので、最寄の駅前の手作りパン屋でお気に入りのパンを買って、コンビニでカップスープを買って電車に乗り込んだ。
しかし、朝から大掃除で、午後からは納会だということで、パンはチビっこのおやつになるなあと。
午前中、大掃除や年始から使うものを買い出しに行った。
そして、午後から例のように納会。
今の会社の人たちは、みんな酒が好きだ。(わたしも含めて)
今年の最後にのみ潰れてはいかんと心に言い聞かせてそこそこに飲むべと。

納会が始まると、新所長のK氏のえらそうな話があった。
女子は、例のごとく、うなづくだけで、右から左に聞いていた。
今年の納会は、前所長の時とはちょっとちがい、事務所での納会のみで終了。

しかし、どうして、オトコって...と思う。
話を聞いていて、独身ならわかるが、妻帯者のアンタの奥さんも働いているのに、なんだよ、その言いぐさ...という話題になった。
一緒に仕事をしているYさんは、子供はいないが、立派な主婦。
そして、営業の紅一点kさんは、これから彼氏とどうやって、結婚にいこうかと思っている女の子。
わたしはといえば、お気楽ではあるが、一応、子育てもする主婦。
この三人が、ヨメは、こうあるべきだと論じられて腹立ちを憶えない道理はない。
なぜ、わたしたちオンナだけが、仕事をした上で、家事全般を完璧にしなくてはならないのだ。
手伝ってしかるべきだと。
三人で、なんで、ここの人たちは...と思った。
こんな感じで、納会は終わった。

昨日の夜、ちょっとブルーになった。
結婚生活って...と考えてしまったから。
今、わたしの実家とダンナの間が、ギクシャクしている。
だから、以前なら、休みなら、ちょこっとのぞいてみたり、ダンナも父とお酒を飲んで、そのまま家に泊まったりということがよくあった。
しかし、義父との関係がうまくいかなくなってから家族四人で家を飛び出し、とりあえず、実家に身を寄せた...これが、間違いだったのかもしれない。
一緒に住むって大変なことだ。
わたしもしんどかったが、一番しんどかったのは、母かもしれない。
母がいたから、大きなけんかもなく、過ごせた。

母は言わないが、わたしが今、こうなってみて思うのは、父が、若かったころ、母の実家に対して、今のダンナと同じような行動をとったことがあった。
母も苦しんだと思う。
母は、早くに両親をなくし、おじとおばが親代わりだったから。
今、その父のために、母は、実家と疎遠だ。

父は、ダンナがいないとき、ダンナのことをこまごまとわたしに意見する。
でも、わたしとしては、穏便に過ごしたいので、ダンナには、何も言わない。
だから、ストレスがたまる。
その矛先は、かわいそうだが、子供たちだ。
で、今は、わたしが、子供にも、ダンナにも何も言わなくなった。
ストレスはたまるが、それで、家族が丸くおさまるなら、これでいいのだと自分に言い聞かせる。
そんなわたしの気持ちをわかってくれるのは、やはり母と娘だけだ。
娘も大人に近づいてきて、意見は辛らつだ。
だが、グチは聞いてくれる。
今は、娘とは、よい関係だ。
それだけが、今のわたしの救いのような気がする。
母も、それなりに気を使っていろいろとやってくれる。
頭が上がらない。

昨日、ダンナが急に機嫌を悪くした。
いつものことだ。
何に腹立ちがあるのかは、わからないが、四歳になる息子と同じ頭の程度か...とまた、心の中の悪魔が叫んだ。
子供が見たいテレビを見せなかったのだ。
どうせ、すぐに子供は寝てしまうのに...ちょっとくらいは、折れてやれよ...とまた、悪魔が毒舌を吐く。
息子は、叱られたと思い、泣いた。
そして、「ばあちゃん、ばあちゃん」と泣きじゃくった。
それを聞いて、また、逆ギレだ。
「そんなにばあちゃんがよければ、ばあちゃんのところに行け」
子供に対して、一番言ってはならないことを言ってしまうのだ。
息子は、他の四歳児より少し発達がゆっくりさんなのだ。
だから、こんなことを言われてしまうと、また、カラにこもってしまう。
やっと、最近、たくさんの言葉を話せるようになり、彼もそれがうれしいのにだ。
そんなこともわからないダンナは、父親失格のような気がした。
そして、憎んでしまった。
今朝、息子にその影響ができめんにでた。
保育園に行かないという。
感受性が鋭いので、激しく傷ついたのかもしれない。
ダンナが、朝、身支度をしていたところ、起きてきて、「パパ、パパ」と言って、相手になっていたが、また、心の悪魔が「大人のあんたよりよっぽどこいつのほうが大人だぜ」と。

いつか、きっと、報いがくるような気がする。
悲しいが、仕方がない。
結婚を反対されたのに、押し切った自分の報いかな?

今日は朝から頭痛

2003年12月22日
結局、風邪が治りきらないままだ。
咳はでるし、声はかすれたままだし、頭痛もする。
でも、もともと頭痛持ちなので、あまりたいしたこともない。
でも、あまり気分はすぐれないなあ。
いつものように、会社に出勤。
一緒に仕事をする彼女(正社員の人)は、朝、いつもご機嫌が悪い。
今日もそうだった。
別にどうってことないのだ。
まあ、そんな午前中を過ごす。
午後、弁当を食べ終わる頃には、その機嫌もいつも直っている。
来年から仕事が増えるらしい。
わたしは、パートなので、そのサポートだ。
いろいろと大変なのかもね。
別に彼女は、悪い人ではないし、むしろいい人だと思うので、特にわたしも気にかけない。
仕事をパートなのに、責任のあることも任せてくれているので、それだけ、頑張りがいがあるし。
前の職場と大違いだ。
職員とパートをきっちり分けていた。
その分、やりがいモリモリ。
まあ、いろいろと今年もこの会社であったが、がんばろう。

寒い一日だあ

2003年12月21日
昨日、あまりにも咳こみが激しいので、また、薬を飲み始めた。
やはり、ちゃんと治りきるまで飲まなくちゃだめだなと思った。
そのせいか、今日は、幾分か楽になった。
しかし、声は相変わらず枯れたまま。
そして、たまに咳が出る。
でも、チビっこが、「かあさん、咳、だいじょうぶ?」とかわいい声と笑顔で聞いてくれる。
これがいちばんのくすりだ。
体調を彼は、かなり気にしているようだ。
先日、熱が高かったときも、重い買物の袋を持ってくれようとしたり、いつもなら、なかなか、遊びに夢中になって帰宅するのをいやがるのも、がまんして「帰ろう」と言うと、「うん」と言って帰ってくれるようになった。
いろいろと、彼のことでは、悩みもあるが、よい方向に育ってきてるなと思っている。
かあさんが、弱っていてはいかん、がんばるべと、日々がんばっている。
ところで、火曜から毎晩、「北の国から」を見ていた。
途中まで、三人で見るが、途中で、チビっこが寝て
その後、また、ダンナも寝る。
一人で見ながら、ホロホロと泣きながら見ていた。
しかし、最終日の昨日は、ダンナが「もうええやろ」と言って、わけのわからんビデオを見せられた。
そういう、わがままが時々許せないときがある。
まあ、そういうわたしもわがままだけどね。

今日は、チビっこの通園する園のクリスマス会だった。
実のところ、我が家のチビっこが通園する園とは障害児施設だ。
...かと言って、チビっこが障害児というわけでもない。
ただ、ちょっと言葉の発達が遅く、大きなグループでの行動が苦手な子供なのだ。
家族みんなは、そんなこと全然考えていなかったので、そこの園に通わせる事にかなりの抵抗があり、ショックも受けた。
しかし、今は、のびのび育ててくださるその施設に感謝している。
今は、言葉の遅かったチビっこだが、うるさいくらいに話すようになってきた。
同じくらいの年齢の子供ともかかわりをかなり持ちたくなり、遊ぶのが大好きだ。
ところで、今日の園のクリスマス会。
かなり盛況だった。
ただ、かぶりものの恐いチビっこは、サンタクロースが出てくることを察知すると、いち早く、園庭に逃げ出した。
そして、泣き顔をしていた。
しかし、サンタさんのプレゼントをクラスの担任の先生がなだめると、サンタさんに「握手」と言って手を差し出していた。
まったくもって、恐いもの知らずかと思えば、本当に恐がりだ。
園でも、人気者らしい。
かわいらしい彼女もいるらしい。

今日は、チビっこが元気を取り戻したのとは裏腹にわたしの体調がまた最悪に。
咳がかなり昨夜よりでてきた。
しかし、カラ元気で仕事に行った。
すると、腹立たしい事が朝からあった。
いつものとおりにバスに乗った。
乗り継いで、最寄の電車の駅に。
...とここまでは、いつも通りの通勤経路。
しかし、バスを降りるときに、運転手に呼びとめられた。
わたしの持っている定期券が使えないというのだ。
なぜ、と言うと、途中までしか乗れないのというのだ。
バスと電車の連絡定期なので、それは、電車の定期券売り場で買ったものだから、使えないともいうのだ。
しかし、わたしは、毎日この定期券を使って、バスと電車を使い、通勤している。
呼びとめられたことはなかった。
まるで、わたしが悪意でその定期を使っているように運転手に言われた。
頭にきた。
名前と電話番号を聞かれた。
ひつこい性格の野郎だった。
電車の時刻が迫っていた。
その電車を逃すと、間違いなく遅刻だ。
そのことを言ったが、ひつこくされた。
おかげで、遅刻した。
頭にきたので、バス会社のホームページに苦情メールを送った。
...が、未だになんの返答もない。
本当に頭にきた。

ところで、明日は、チビっこの通園先のクリスマス会だ。
普段、あまり、保育参加(参観日みたいなもの)も仕事があるので、行ってやれないし、通園バスへの送迎も実家のばあちゃんまかせ。
明日は、休暇をもらったので、行ってやれる日だ。
久しぶりに、クラスのママさんたちとの対面だ。
いろいろと同じ悩みを持つママたちなので、話に花が咲くと思うなあ。

咳が激しいので、咳止めを飲んで、明日は行ってみよう。

土曜から、チビっこの嘔吐が続いている。
わたしの体質に似ていて、胃酸過多なのかもしれない。
食いしん坊のチビっこにとって、食べられないのはつらいことだと思う。
ちょっと、見ていてつらい。
元気に幼稚園から帰ってきて、わたしと待ち合わせのバス停で待っていてくれる。
その元気さとは裏腹に、夜になると吐く。
大好きなバスに乗って、今、話をすることが楽しくて仕方がないときなので、降りるまで何かわからない言葉で話している。
そして、スーパーで大好きなパンを買って、家路につく。
そして、お風呂に入れ、食事。
これが、彼の今の生活パターン。
だが、食事の後、いつも具合が悪そうにしている今日この頃。
けなげにも自分で気分が悪くなると、洗面所で吐いている。
もっと、かあちゃんに甘えりゃいいのに。
今日もそうだった。
明日は、ばあちゃんに無理を言って、小児科に連れて行ってもらおうと思う。
仕事を休めない、かあちゃんを許してね。

体調回復

2003年12月16日
ようやく、声が元にもどりつつある。
先週までのケイウンスクさようならだ。
しかし、寝違えたようで、首が痛い。
昨日の昼間、右に首を回す事ができなかった。
今日は、幾分かはよくなっているが、まだ痛い...気がする。
今朝は、久しぶりに三人分の弁当を作った。
チビっこは、給食なのでいらないが、娘が、昨日は、こっちに泊まったので、作ってやった。
やはり、うれしいものだ。
娘は、18歳だが、いまだに、そうやって甘えてくれる。
なんとかわいいヤツなんだ。
お小遣がないといっては、頼ってくるが、まだまだ子供なんだなぁ。
身体や心が大人になっていっても、どこかで、頼ってきてくれる。
子離れしなくちゃとは思うが、今、別に暮らしているせいもあり、気になって仕方がない。
一番難しい年頃を乗り切った母娘だからかな。
わたしは、一人っ子だった。
だから、娘を歳の離れた妹のように、友達のように接してきた。
大きくなるにつれ、彼女にとって、それが重荷だったかもしれないが、いつも、何かがあれば、頼ってきてくれたり、相談を持ちかけてくれる。
わたしも、彼女に隠し事をせずに、接してきたので今、ダンナとチビっことの三人暮らしになって、ちょっとさみしい気がしている。(ダンナやチビには悪いけど)
今、彼女は、自分の歩こうとしている道を迷っている気がする。
それが、いつか、決まったら、また、二人で旅にでも出られるといいなと。

旅といえば、勤務先の来年のカレンダーがファックスされてきて、二月の何でもない日に○印。
そして、盆休みが一日少なくなっている。
どうも、今年同様、海外に慰安旅行があるらしい。
行き先もまた同じらしい。
わたしとしては、羽を伸ばせるし、命の洗濯をするチャンスが訪れるので楽しみだ。
本当にお気楽だなああ。


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