阪神大震災から9年もたったんだなあと。
あの日、夫が、滋賀県の現場に行くので、4時ごろから起きていた。
そして、早起きしたので、娘の誕生日でもあるあの日、夫の弁当とともに、娘のバースディケーキの準備をしていた。

夫が、原付で会社にまず出かけるのを見送ろうとしたとき、グラっときた。
今までに体験した事のないような揺れ。
あわてて、二階に駆けあがり、娘の様子を見に行った。
娘は、何事もないといったように、安らかに眠っていた。
テレビをつけた。
兵庫県がかなりのダメージを受けているという。
年老いた叔父と叔母が住む伊丹市。
数日前に、叔父と叔母を訪ね、いとこ母娘とわたしと娘で大好きな神戸にランチに行ったところだった。

当時、勤めていた会社の本社が神戸市なので、友人もたくさん住んでいる神戸。
みんなの顔が浮かんだ。
そうこうしているうち、阪神高速が落ちたというニュースとともに、阪急伊丹の駅が倒壊したというニュースが。
叔父と叔母の家は、駅から歩いて数分のところにあるので、ますますつのる不安。
実家に電話してみた。
繋がった。
実家は、大阪の北部、千里だ。
叔母は、母の姉だ。
そして、叔父は、母の弟だ。
「おばちゃんたち、大丈夫かな」
「電話が通じないんよ。姉ちゃんたちが心配で」
と母も、心細い声だった。
父は、当時、マンション管理の仕事をしていて、車で駆けつけ、もう留守だった。
かくいう、夫も原付で会社に出かけた。
わたしはというと、電車が止まっており、身動きがとれなかった。
会社の同僚から電話があった。
彼女も電車が動いていないため、出勤できないと。

娘を起こし、地震のことを言うと、「今日、学校の校外学習のスケートあるんかな? ママ、誕生日ケーキ作ってくれたん?」と能天気なことを言っていた。
それで、思いだし、台所に行くと、無残なケーキの残骸が。
とりあえず、朝食を食べさせ、学校に行かせた。
その後、実家に電話をしてみるものの、通じなくなった。
またも、心配になった。

心配なのは、叔父と叔母。
実家の父が、母を連れて、叔父たちの家を訪れたのは、それから1週間以上もたった日だった。
ケガはなく、元気な様子ではあったが、家が半壊だった。
あれから9年もたったのだ。
叔父や叔母も元気に今も暮らしている。

あの地震がきっかけで、実家から離れた場所に住んでいたが、わたしが一人娘ということもあり、引越を考え、現在に至る。
悲しい知らせもあった。
会社の友達の家が、長田区にあったが、全焼した。
同じく長田区に住んでいた別の友達の家も全壊、おかあさんが大怪我を。
そして、先輩の奥様がなくなられた。
しかし、その後、みんな、懸命にがんばっている。
それまでは、1月17日は、単なる娘の誕生日にしかすぎなかったが、今は、一生懸命に生きなければと考える日となった。
...という娘も今日、19歳を迎えた。

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義父の容体が心配なため、勤務の帰りに病院に寄るので、チビを迎えに行く時間が遅くなっている。
実家の母や父は、遅くなるとかわいそうだから、泊まらせろと言うが、チビは、時間になると「かあさん、かあさん」と言って、困らせるらしい。

そして、昨日、チビの通う施設の月に一度のお誕生日会だった。
行ってやりたいのは、ヤマヤマだったが、義父の件で勤務を二日も休んでしまったため、仕事がたまっており、それを消化しなくてはならないため、母に代役を頼んだ。
昼休み、携帯に電話。
「ホールに入らなくて困った」という旨の電話だった。
その様子を見て、担任の先生が「悪いけれど、外に出ていてくれますか?」と言い、結局、母は、帰ったらしい。
帰宅すると、その件で園から留守番電話が入っていた。
やはり、母親でなくてはだめじゃないのかと、母も言っていた。
わたしもそうかなと思った。
チビが、どんどん、わたしを必要としだした。


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